南京事件!

1937年12月1日、大日本帝国大本営は

南京に「安全区」を作るよう指令を出す。

直ちに民間人は「安全区」に集められる。




12月7日、日本軍は南京へ本格攻撃開始。

蒋介石は即座に南京から脱出。

12月9日、日本軍は南京城を包囲し、投降勧告をビラで通達。

12月13日、国民党からの応答はなく攻撃を続け、日本軍は南京へ入城。

12月17日、日本軍による入城式

さて

南京陥落後

何が起きたのか?

南京陥落後

南京市民は歓喜の声を上げて

日本軍を歓迎したのです。

喜んで食べ物を受け取る子供たちの様子

イギリス系新聞「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」
『南京市民に食糧等を配る日本兵たち。』

朝日新聞 1937.12.18付

日本軍による南京占領5日目の朝日新聞
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も

手製の日の丸の腕章をして笑っている。

国民を歓喜の渦へ

しかし

神は日本の味方をしなかった・・・

日本を奈落の底に突き落していく。

誰がこのことを想定したのでしょうか?

この時の南京の状況とは

180°異なる歴史が作られるということを…

驚くなかれ。

南京で30万人虐殺されたという捏造が作られるのです…

1947年 極東国際軍事裁判(東京裁判)

南京法廷にて裏付けのない証言がなされる…

『中華門外花神廟・宝塔橋・石観音・下関・草鞋峡等において

集団射殺された軍民 19万人余
零星屠殺、その死体が慈善団体によって埋葬されたもの 15万人余。
被害者総数は30万人以上に達する。

死体が大地をおおいつくし、悲惨きわまりないものであった。』

そのまま東京裁判の判決文となり
司令官だった谷寿夫中将は処刑

実際に、人を殺す場面を見た証言者は
アメリカ人牧師のマギー氏の
1件のみ…

当時の人口統計によると…

南京への攻撃開始の約1週間前の1937年11月28日に、
警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、
「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表。


12月21日には、南京外国人会が「南京の20万市民」だとしている。

さらに南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、
国際委員会が人口「25万人」に増えたと公表

民間人が大量に殺されたのであれば

人口が減っているはずが増えている…

証拠もない30万人虐殺という数字が独り歩きし

今も中国では、記念館に30万という数字が大きく書かれている

蒋介石は後にこう述べている。

毛沢東も、その生涯で一度も

南京で虐殺があったということを言及したことはない…

当時、南京の金陵大学教授だったルイス・C・スマイスの調査結果
「南京市街地での民間人の被害は、暴行による死者が

2400、拉致4200(拉致されたものはほとんど死亡したものとしている)、

さらに南京周辺部(江寧県)での暴行による死者が9160人、

計15,760人が民間人の被害ということでした。

これは「30万人」虐殺説には程遠い数字です。

また、これは「犯人」を特定せず、被害だけの数字であり、

その中には、じつは日本軍による死者よりも、

中国軍による死者のほうが多数含まれているのです。」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



捏造された
負の歴史は
日本に対する攻撃材料として
今日まで語られ続けていく
そしてついに
4人は中国人、1人は韓国人という
10人のユネスコ選定委員により
南京事件の文書が、世界記憶遺産に登録

日本への断罪論が
苛烈する恐れのある
虐殺をしたという遺産だけが一人歩きしていく

証拠もないまま
ただ、日本を貶めるため

圧力をかける選定委員
中国共産党の裏からの支援

世界平和という美名の名の元に

我を屈服せんと企む。

日本国民よ今、戦うときなり

負の歴史が残されるなら
子孫に渡って
謝罪という宿命を背負うことになる

2015年10月10日
我々はこの日を忘れない…






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