【松井大将を巡る旅といえるほどのモノでもない旅 ②】


前回の椿神明社に続き、その翌日には桶狭間古戦場公園へ行ってきました。桶狭間といえば、織田信長と今川義元がヤらかしたアノ有名な場所です。
厳密に言うと名古屋市緑区に1つ、豊明市に1つの跡地があるのですが(お互い遠くはないです)、今回私どもが向かった先は名古屋市緑区の方です。

きれいに整えられていて、桶狭間の合戦がテーマになっているだけに公園といえどもブランコやすべり台のある遊戯公園ではございませんよ、歴史のお勉強ができる公園です。

私ら松井大将のスト―カーが何故桶狭間に行くのか。信長&義元と石根って時代すら違うやん。しかし現に松井大将の揮毫した石碑があるんです。忠魂碑とかではなく、地名碑(というの?)。

「桶狭間古戦場 田楽坪   陸軍大将 松井石根書」 

と、細長い石に彫り付けてあります。何故だと思われます?信長のファンだったとかではありませんよ。
実は松井大将の御先祖にあたる松井宗信氏、今川方の武将なのです。本陣の前備えというポジションに配置され、本陣を守るために手勢200名を率いて奮戦、そして残念ながらこの地で討ち死にしてしまうわけです。いやほんと御先祖も勇敢なんですね!

この宗信氏、信長の野望オンライン(ゲーム)において
「天下を担える器は今川のみ!殿の威に服さぬ愚か者は この宗信が成敗してくれる!」
と張り切っていますので、見知っていらっしゃる方も多いかと思われます。

その子孫が! 松井石根大将なんですよ! 
「宗信はゲームやってっから知ってるよ、でも石根ってのは知らねーな」 という方も、今日からはちゃんと
(ああ・・このキャラの子孫があの南京の・・・へぇぇ) って思えますね!

松井大将、宗信さんの供養をしに度々ここを訪れていたと言われています。宗信氏のお墓が豊明市にありますので、おそらくそちらにも行かれたことでしょう。

そして、最後にこの桶狭間の石碑で思ったこと。
ここにある「桶狭間古戦場 田楽坪」という石碑は昭和8年のものです。松井大将が揮毫した石碑群において、古い部類なのかもしれません。そのせいか、後期の文字と比べて文字が・・・右肩上がりで・・・(笑)
いや、何も言いませんよ!私は何も言いません。
ならお前の字はどうなんだと大将に言われたら、もう死んで詫びるしかないほどの汚さです。ただ後期と比べたら、という程度の些細なバランス感覚と言いましょうか、普通で言えば十分な達筆っぷりなのですよ。 文句を言うつもりでは全然ないのです、「松井大将も書の練習っぽいのしたのかなー」と、すごく可愛い発見をしたことにウフフ状態なわけで。

まぁこれは、何ヶ所も集めて見比べてみてから気づいたことなんですけどね。
そんな松井大将、私は大好きですよ。

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