永久保存版:在日韓国人の証言;「ウリたちは韓国軍に追われ、日本に密入国した!」

永久保存版:在日韓国人の証言;「ウリたちは韓国軍に追われ、日本に密入国した!」

韓国人同士の殺し合いまで「日本のせい」にするのは止めて!
   韓国人って韓国軍の犯罪を批判できないから反日をやってるの?

  韓国メディアの狂信っぷりは今に始まったことではありませんが、今日の「聨合ニュース」の記事には唖然とさせられました。「歴史は書き換えられるもの」とはわかっていましたが、「済州島は李承晩が済州島民を虐殺した島」じゃなかったの?

     李承晩による虐殺とISによる虐殺は「一脈通ずる」ものがある。
    
 (聯合ニュース)チョン・ジヘ記者=日本軍が中国で行った南京大虐殺犠牲者を追悼する行事が13日、済州(チェジュ)西帰浦市大静邑アルトゥル 飛行場で開かれた。

 非武装平和の島、済州を作る人々、平和の海のための島々の連帯、カンジョン国際チームが 南京大虐殺78周年をむかえて開いたこの日の行事には国内外の平和運動家など30人余りが 参加し日本軍によって残酷に死んでいった数多くの犠牲者の魂を追悼した。行事は参席者挨 拶の言葉とキム・スヨル詩人の追悼詩朗唱、追悼歌公演、献花の順に進行された。

 主催側は「30万人の無実の市民が暴力の犠牲者になった南京大虐殺の歴史から私たちはどん な教訓も得ていないようだ。戦争基地だったここアルトゥル飛行場は相変らず軍所有として残っており、済州には新しい戦争基地ができている。暴力を振り回すすべての人々が平和を念願する私たちの敵」と明らかにした。 (以下ソースで 聯合ニュース(韓国語) http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/12/13/0200000000AKR20151213033900056.HTML
   
 この手 の話に詳しくない方に少し解説しておきますね。韓国の済州島では1948年の「4月3日」に済州島で起こった左翼系の島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊や警察などが済州島民を大虐殺したんです。ふつう、この大虐殺のことを「済州島四・三事件」と呼んでいます。北朝鮮に指導された共産主義者を、反共主義の李承晩らが「主義主張が違うことを理由」に殺戮したんです。当時、済州島には30万人の島民がいましたが、そのうち6万人が殺され、島民の多くが日本に逃げました。(*南朝鮮国防警備隊: 韓国の建国は1948年8月15日なので、これ以後を韓国軍と呼びます)

      
在日韓国朝鮮人 は、「ウリたちは日本軍に強制連行されたニダ」というウソをついては被害者芝居をやっています。そりゃ、「密入国者ということはバレたくないニダ」ということなんでしょうが、密入国とは言えども、かわいそうな「戦争難民」を助けた日本人を加害者扱いするウソに私たち日本人がつきあう必要はありません。「在日韓国人のルーツは密入国者」と言っても間違いではありません。実際、在日韓国人が証言してますから。

    
 ということで、在日韓国人の中には数えるほどしかいない「正直者」による「密入国の証言」を集めてみました。もう、日本人は「在日の下手な芝居」にだまされてはいけません。密入国を認めないのならば、「じゃ、朝鮮半島に帰れば」と言ってやりましょう。だって、朝鮮半島こそ彼らの母国なんですから! まずはおなじみの「金時鐘」の証言。
    

 『猪飼野いかいの詩集』などで知られる在日の詩人・金時鐘(キムシジョン)さん(86)=写真=が、回想録『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)を刊行し、韓国・済州島チェジュドで1948年に起きた「四・三事件」との関わりをつづった。「苦難の故郷を見捨てて逃げを打ったことは一生の負い目」と長く沈黙してきたが、その体験は金さんの紛れもない“詩のありか”でもある。

 「四・三事件」は、同年4月3日の反体制派弾圧事件。南北分断の固定化につながる南朝鮮の単独選挙を阻止しようと、民衆が武装蜂起し、軍や警察の鎮圧部隊に数万人が殺された。19歳の金さんは、武装隊を率いた南朝鮮労働党の一員だった。襲撃先の郵便局では、同志が目の前でカービン銃で撃たれ、自らも追われる身となった。翌年5月、日本行きの密航船に乗り込み、大阪・生野のコリアンタウンに行き着いた。
 
 55年に出した第1詩集『地平線』で焦土と化した故郷を悼んだが、自らの関与には触れていない。「軍事政権下の韓国に強制送還されれば、事件の残党ということでまず命はなかったやろうから」。日本に来た理由は「よんどころない事情」としたままだったが、ゆるぎない詩人の言葉で「在日」を生きる意味をとらえてきた。「そうでないと、民族意識に目覚めたことも、事件に関わったことも、自分にとって何のよすがでもないことになる。空虚だよ。知った者が、知らない形は取れないのよ」
 
 改めて文章に書き残したのは、「80も半ばを過ぎて、自分の整理をしたようなもの」。苛烈な生を支えたのは、密航船の手配を整え、一人息子を逃がした両親の存在だった。「まるで鳥がひなを育て、巣立たせるような見返りのなさ。それは、愛の全くの原型なんだよ」。朝晩、遺影に向かってあいさつを欠かさないという。(2015年04月10日YOMIURI ONLINE 本よみうり堂) http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20150331-OYT8T50042.html

    

 続いて 「金東日」の証言。この人は女性です。

 密航船で日本に密入国した済州島出身の在日韓国人が60年ぶりに韓国へ帰る

 東京に住む76歳の在日韓国人、金東日(キム・ドンイル)さんは31日、 60年ぶりに韓国の済州島(チェジュド)に帰郷する。朝鮮半島が南北に分断された1948年に島で起きた民衆の蜂起で故郷を離れたままだったが、韓国で過去の見直しが進み、腰をあげる決心がついた。

 東京都江戸川区の小さな弁当屋で、金さんは土日も休まず店に立つ。ずっと故郷に足が向かなかったのは多忙だけが理由ではない。「またつらい目にあわされるの ではないか」という不安が消えなかったからだ。

 48年4月3日に始まった済州島4・3事件だ。女学生だった金さんは、子どもにも容赦なく暴行を加える警察に反感をもち、山にこもった武装隊の伝令役として制服姿で島を走り回った。

 軍や警察の包囲網が狭まり、山の洞穴に身を隠した。雪がつもり始めるころ山をおりたが、 警察に見つかった。一緒にとらえられた年長の女性は銃殺。金さんも拷問を受けた。 刑務所に移されるため、島から離された。

 出所後、半島南端の木浦(モッポ)の叔父宅に身を寄せていた50年6月に朝鮮戦争が始まった。木浦は数カ月で占領者が南、北、南と入れかわり、金さんは再び拘束された。 当時の韓国は独裁政権下。密航船で祖国を後にして日本へ密入国した。 http://blogs.yahoo.co.jp/atcmdk/53463147.html


 最後は 「洪 正秀」の証言。この人は日本で弁護士をやっているんですね。日本はやさしい国だ!

 洪 正秀 弁護士のやさしい法律相談…より

 【質問】
 私の祖父の氏は「李」ですが、私の父と私の外国人登録上の氏は「金」です。できれば、氏を本名の「李」になおしたいのですが、できるでしょうか。

 【回答】
 あなたのように、本名と外国人登録上の氏や名が異なっている事例は多くあります。実は私も朝鮮学校に通っていた時代には「尹(ユン)」という氏を使用していました。戦後、私の父が密航で日本にやってきて、他人の外国人登録を買ったためでした。そのため、親族と会うときは「洪(ホン)」の氏を使用し、学校では「尹」の氏を使用しました。現在は通名として「洪」を使用し、母親の氏である「星」が本名となっています。学校時代の「尹」は、ほとんど使っておりません。 http://bigkorea.seesaa.net/article/19537515.html http://megalodon.jp/2010-0608-1342-14/www1.korea-np.co.jp/douhou-hiroba/hou-soudan/hon9709.htm
    

 「密航」だの 「他人の外国人登録を買った」だの随分生々しい証言ですが、実はこれ全てが事実であり、「ウリたちは強制連行されたニダ」は全部ウソなんです。 当時の新聞でもこのことが事実であることは確認できます。 密航は犯罪ですから、自己を正当化するためにウソをついた事情はわかりますよ。 しかし、「いつまでウソついとんのじゃ~!」
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