【松井大将を巡る旅といえるほどのモノでもない旅 ⑥ 】

興亜観音から戻り、翌日は愛知県豊橋市の圓龍寺へ。
小雨が降り、少し肌寒い中での探索です。

立派な、これぞお寺!という山門をくぐると広く静かな境内が。
まるで往年のアニメ、一休さんがその辺を竹箒で掃いているような気がします。
新右衛門さんが後ろから走って・・・きません(笑)

松井大将、探すまでもなく堂々といらっしゃいました。
門をくぐって左側、大きな墓石のような石碑がドーンと建っています。
4~5段の階段があり、お花が一対、奥にある忠霊塔。

その周囲に、ミサイルなのか何なのか・・・曖昧な表現で申し訳ないのですが、
そのような形をしたオブジェのようなものが並んでいました。

忠霊塔の一番上に五芒星が施されていたので、おそらく陸軍の忠霊塔。。
オブジェは何だろう?魚雷ではないですね(笑)
(五芒星は陸軍が使用(一部の海軍陸戦隊も))

もしかしたら深く考えすぎで、何かを模しているわけではないのかもしれません。
それにしては面白い形でしたけどね(何個もあるんですよ)。

一休さんのお寺を後にし、その翌日は名古屋市北区の忠魂社と六所宮へ。
この忠魂社・・・雰囲気ありすぎ(笑)
庄内川の堤防下、細い路地にあるのですが、まるでタイムスリップしたようで。
色々な木々が鬱蒼と繁り、昔話に出てきそうな着物を着た子供が
輪になってカゴメカゴメで遊んでる・・・そんな幻覚を見そうな雰囲気です。
(そんなん見たら今後一切、神社仏閣には行けませんが!)

松井大将を探したら、入り口付近・・・鬱蒼の中でも特に鬱蒼としている、
まさにトップオブ鬱蒼!という場所に細い石碑があり、
「陸軍大将 松井石根 謹書」 と下へ行くほどに小さくなる字で書かれています。
最初の「陸」と、最後の「書」では倍ほども違う大きさで、
彫る人がもう少し気を使えよな~とか、それじゃ揮毫の意味なくなるか?とか
色々と考えつつ撮影。

スマホを構える数秒で、大量の蚊が私の手に。振り払って再び構える。
・・・また来た!ちっとも写せやしない! 天気は曇り空で肌寒いというのに
少なくとも30匹は下らない蚊が、ものすごい執念で血を要求してきます。

「松井さん、すっごい蚊だわ!」と言っても大将は石。痒くない大丈夫。
石碑でも痒くなるんじゃないかと思ってしまうほどの蚊を何とかやり過ごし、
いざ六所宮へ。

名古屋市北区、上飯田にある六所宮。
ちょうど上飯田の真ん中あたりになるそうです。

ここの松井大将は、正面の鳥居をくぐった左側にいらっしゃいます。
「赤心富士」と書かれた石碑、その意味は
兵隊さんの無事帰還を願って、子供たちが真心(赤心)で積み上げた石が
山のようになり、それを富士に見立てて「赤心富士」。

この神社、空襲で焼失したのですが「赤心富士」の石碑と、国旗掲揚塔だけが
焼け残ったそうです。
国旗掲揚塔には、「帝國在郷軍人會飯田分會上飯田班健之」とありました。

銘鈑に書いてあったことは、
「この辺の村から支那事変に出征する六十余名の壮行をしたいんだが
国旗があまりにもボロいんで、皆で相談して掲揚塔を新しく建てたよ」
というような説明でした。
(「日支事変ニ応召ノ命ニ接シ出征スルモノ六十余名 郷民神前ニ 壮行ヲ・・」)

支那事変に出征する人々をこの神社で送り出し、
松井大将揮毫の石碑(赤心富士)を頂き、後の空襲で全焼し、今に至る・・・

神社裏手にあった銀杏の木、小さな実が落ちていましたが
当時を見てきたのでしょうか。それとも戦後に新しく植えられたものなのでしょうか。

そういうことを思うと、あまり長生きしすぎて色々な物を見すぎるのも
辛いことなのかもしれないなと感じます。

今まで何ヶ所も松井大将の揮毫された石碑を回ってきましたが、
戦地から日本へ帰ってきて、自分の指揮下にあって戦死した者の慰霊碑や
無事に還れと願う碑に揮毫する松井大将のお気持ち、
もちろん一兵士も大変だろうし辛いでしょうが、
指揮官も指揮官なりの辛さがあったことでしょう。
戦う方も、戦えと命じる方も、どっちも辛いよねと思わずにはいられませんでした。


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