【松井大将を巡る旅といえるほどのモノでもない旅 ⑦】

そろそろ終わりに近づいてきました、ラス2です。
今回は愛知県半田市の神前神社外苑、豊田市の八柱神社、
岩倉市の招魂社のご紹介。

まず半田市の神前神社外苑。「神前」と書いて、「かみさき」と読むそうです。
壮大な階段を数段登り、鳥居があります。そこからまたずーっと階段を上り、
上り切った所にもう1つ鳥居。

松井大将を探すも、珍しく何も見当たりません。
奥の方で女性が掃除をしているのを見つけ、その方に聞くと
石碑なら外苑にまとめて置いてあると言われ、外苑はその山道みたいな坂を
登った上にあると。

さっそく登ってみます。広~い空地のような場所の端っこに石碑や城址の碑が
いくつか置かれていました。1つ1つ確かめ見ていくと・・・

松井大将、いらっしゃいました。
広場のいちばん奥、木が茂って影になっているので目立ちませんが、
「忠魂」と書かれた石板のような碑。その下には何名かの氏名が書かれています。

元は神社の中にあったのかもしれませんが、ここは何だかひっそりしすぎて
寂し気です。ひと通り見て、神社側に降りていくと先ほどの女性が
声をかけて下さいました。

少し話をして、
「南京事件がユネスコの記憶遺産に登録されちゃってアレは中国の嘘で
指揮官が松井石根大将で彼は名古屋出身で・・・」と、
”松井大将の忠魂碑をピンポイントで探していた怪しい2人組” 
のイメージを払拭すべく、2人してマシンガンの様に説明しまくる。
・・・よけい怪しかったかもしれません。

女性は、「良く知らなくて申し訳ないんですが・・」と言いつつ、
頑張ってくださいと励ましの言葉を頂きました。
今まで知らなくても構わないんです、今知って頂けました。

「もしかしたら、そういう忠魂碑ならあの神社にもあるかもしれない」
とか、色々と自分の知ってる情報を思い出そうとしてくれ、
そういう気持ちが何よりも嬉しかったですよ。
神主さんの奥様であろう女性、ステキな方でした。

次、八柱神社。
もうこれは笑うしかないです。いや神社のことではないですよ?神社は悪くない。
情報では、「○○コミュニティセンターにある」とのことだったので
最初コミセンに向かいましたよ。
(伏字にしたのはお許しください、ちょっと文句言いたいので)

職員に聞いても、「え、石碑?・・まつい・・松井さんという方の石碑ですか?」
と埒があきません。陸軍大将の松井石根が揮毫した忠魂碑だと言っておろうが。
石碑はここしか・・・と案内された場所は、石碑があるにはあるけれど
忠魂碑などどこにもない。

ひと通り見て回ったら、「朝鮮民主主義人民共和国~」と彫られている碑発見。
なんでこんな石碑がここに?日朝友好の記念碑か何かだったと記憶してますが
ムッとしすぎて撮影するのを忘れてしまいました。

屋内に戻って、上司っぽい年齢の男性職員がいたので再度聞いてみます。
そしたら、忠魂碑は以前ここにあったのだが増築した際に公的な物しか
センター内に置かないようにした為、近隣の八柱神社に移設したそうな。

犯罪国家北朝鮮との友好は公的であり、忠魂碑は公的じゃない・・・だと?
いったい誰に対する忠魂碑だと?この地域から出征した方達なんじゃないの?

善良な日本人を拉致した上、死んだだの入国してないだのバックレまくって
まだ帰さない、強請りタカリだけは超一流の犯罪乞食国家との友好が公的で?
国に殉じて亡くなった方の忠魂碑は私的扱い?
政教分離違反だからとか言い出すんでしょうね、きっと。

せめて、「神社の方が相応しいから移設した」とでも言って欲しかったです、
たとえ真実はサヨクによる厄介払いだとしても。・・・もうムカつきMAXです。

教えてもらった八柱神社へ向かい、奥まで歩いて立派な忠魂碑を拝みます。
花も活けてあり、キレイで静かな所でした。

「あんな所に置かれるよりココの方が数百倍いいわ、ねぇ皆さん!」
と石碑に向かってブーブー言いながら悔しさと腹立たしさを鎮めていきます。
あぁ、怨親平等でしたっけ。・・・自分には無理であります松井閣下(涙)

翌日、愛知県岩倉市の招魂社へ。
もうね・・・↑の口直しのような、感動に値する場所に石碑がありました。

良いことなので、どんどん宣伝していきましょう。
岩倉北小学校ですよ皆さん!
岩倉北小学校に隣接し、学校敷地と神社側との境目が曖昧なほど近く、
タイヤを半分埋めたような仕切りでユルく区画してあるだけです。

松井大将の揮毫、今回は忠魂碑じゃありません。「八紘一宇」です。
ドーンと立派な石碑、なんと小学校の校庭に向かって建っていました。
神社側ではなく校庭に向けてです。キレイに手入れされて、ゴミ1つありません。

八紘一宇の石碑が、校庭で体育をしている子供たちを見守っているような。
素晴らしすぎて涙が出ます。先ほど述べた通り、塀や垣根はありません。
この学校の校長先生以下、先生たちの良識と地域の人々の正しい理解が
あればこそだと思います。

戦時中の言葉だと言うだけで問題視し、排除しようとする馬鹿サヨクの
如何にナンセンスな事か。「八紘一宇」は世界平和の理念です。

以前、自民党の三原じゅん子議員が使用して叩かれまくりました。
八紘一宇の何がダメなのか。侵略の正当化と言われますが
それは現代のフィルターを通して過去を批判しているにすぎず、
木は見てるんだけど森まで見えていない。或いは故意に見ようとしていない。

あぁもういい長くなるからヤメ! 
これを読んで下さってる皆さんなら、そんなこと承知していらっしゃることでしょう。
とにかくこの学校は素晴らしいのであります!
岩倉北小学校、安心して子供さんを預けられる良い学校だと思います。


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【松井大将を巡る旅といえるほどのモノでもない旅 ⑧】




椿神明社から始まった松井マニアの旅も、あと2ヶ所を残すだけとなりました。
愛知県岡崎市の豊富小学校前と、同じく岡崎の矢作南小学校です。

ナビを頼りに車を走らせると、道路の脇に「豊富小学校」という案内板発見。
そこを曲がれとナビ様が仰るので言う通りにする。

小学校の門を発見したので、まぁその辺にでも車止めて
電話でも掛けてみるか、と降りて振り向いた瞬間・・・ 
驚きすぎて思いっきり仰け反りました。2人して変な奇声をあげてしまうほどに。

私ども、学校の中にあるものだと思い込んでいたので
そちらばかり気にしていたのですね。私道のような道路を挟んで
すぐ真後ろ・・・というか校門の真向かいに、すごい忠魂碑が(笑)

今まで見たことのない規模で、大きな灯篭がお飾りに使われるほどのレベルです。
高低差がついているので立体感があり、植木もプードルのカットのように刈り込まれ
奥には五重塔みたいな灯篭?までも飾られています。
(植木も灯篭も何て説明して良いのか分からず申し訳ないです;;)

ホント、こんな説明では失礼極まりなく思いますが(我ながら情けない)
大変立派な、ランドマーク的存在になり得るほどの忠魂碑でした。
ここも、⑦でご紹介した岩倉北小学校と同じく、
地域の方の理解あればこそ為せることだと思います。ありがとうございます。

そして今回の松井めぐりのラスト、同じく岡崎市の矢作南小学校。
ここの忠魂碑も大きいですよ~!
校門の内側にあり、植木でちょっと見え辛いのですが
またその植木がカッコよく配置されていて紅葉した木もあり美しい!

目の前にある歩道橋に上り、何とか全貌を・・と思うのですが
なかなかこれが見えない(笑) しかしディテールだけは掴めます。
キレイにされているなぁと感心しきり。プードルな植木もあります。

大きな石碑が2つ並んでいました。隣は忠魂碑ではないですが。
掃除とか、生徒さんがするのでしょうかね?素晴らしいことです。
公立校だから私的なものは置かない、とか言わない所も素晴らしい!
(↑執拗に拘ってます(笑))

国に殉じて亡くなった地元の方達ですもん、地元の人々に忘れられたり
蔑ろにされたりしては浮かばれませんよね。

いつも思います。
「勇敢なる水兵」という歌の最後に、”皇国を思う国民の 心に長くしるされん”
という歌詞があります。これは日清戦争の黄海海戦で戦死した
三浦虎次郎という海軍の三等水兵さんのことなのですが、
おそらく今、18歳で戦死した彼の職務に対する忠実さや純粋さを知る人は
あまり多くないと思います。

国民に長くしるされていないのです。国を思う民が減ったからかもしれません。
歌を聞くたび、ごめんなさいと思います。

今回、松井大将のゆかりの地を回り、保守でも何でもない人と話をし、
いかに松井石根という名前が知られていないかを身を以て体験しました。

欲しい情報がすぐ手に入る時代とは言えども、自らが欲しなければ
情報の方から飛び込んできてくれることは、まず無いわけで。

流行りのアイドルや映画のことは、欲してなくても風が運んできますが
こと戦争や軍人に関することとなるとパッタリ無風状態です。
逆に、知らせまいとする風が吹いているかの如くです。

そのような風潮の中、自分の人生が愛国の道を歩み
彼らの存在や功績、訓えなどに触れる機会を与えられた分だけ
私も、ここを読んで下さっている皆様も幸せだと思います。

どうか皆さま、松井大将のシッポの先だけでも触れてみてください。
彼がどれだけ平和思想だったか、どれだけ中国を愛していたか、
欧米列強に対抗できる強いアジアを作るため一体どういうお考えを
持っていたか・・・それらを知ることが出来ます。
そしたら、「そんな人物が大虐殺など指揮しない!」と確信できるはずです。

30万人を虐殺したと中国は言いますが、軍の作戦でもなければ
そこまで大量虐殺など出来るわけがありません。
しかし松井大将は、そのような命令を出す人間ではありません。

なら南京大虐殺って一体何だったのさ?と思うでしょうが
これは戦後、東京裁判において初めて取り上げられ大問題に仕立てられた、
いわばデッチアゲの捏造話なのですよ。

松井大将は汚名を着せられたまま、処刑されました。
日本人の私たちが声をあげないわけには参りません。

とくに愛知、名古屋市民の方は地元のヒーローに泥を塗られて
殺されたわけですから、どんどん大虐殺は大嘘だとアピールして
いまだ知る機会を与えられていない人々に周知しましょう!


シリーズ⑧まで続きました松井めぐり、これにて終わりにしたいと思います。
駄文、長々と読んで下さり有難うございました
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