【杉原千畝だけではない、ユダヤ人を救った日本人】

【杉原千畝だけではない、ユダヤ人を救った日本人】
 もっと焦点を当てていい、日本人の人道支援
             
◆ドイツの抗議を蹴ってユダヤ人を救出した軍人

外交官ではウラジオストク領事代理の根井三郎もビザを持たずにウラジオストックに到着したユダヤ難民に日本通過ビザを発給している。もっと多くのユダヤ難民を救助したのが軍人たちである。

ハルビン特務機関長であった樋口季一郎少将と大連特務機関長であった安江仙弘(のりひろ)大佐は日頃から現地のユダヤ人社会と交流があった。そのユダヤ人が困っているのを助けることは満州国建国の精神である「五族協和」の理念に叶うことでもあると理解していた。

2人が救出したユダヤ人は約2万に上るとされ、樋口少将と安江大佐の名が「ゴールデン・ブック」に記載されている。ゴールデン・ブックは「ユダヤ民族に貢 献した人々や、ユダヤ人を救済した人々を顕彰する最も権威あるもので、ユダヤ人にとって名を記載されることは最大の名誉」(馬渕著)である。

樋口はハルビンでの極東ユダヤ人大会の開催を許可し、来賓としてユダヤ人の祖国建設に理解を示す祝辞を述べて、参加したユダヤ人に多大の感銘を与えたと言われる。

経緯を簡単に記すと、1938年3月、ナチス・ドイツの迫害を逃れてシベリア鉄道経由で満州国境まで来たユダヤ難民はドイツ旅券を保持していたが、ソ満国 境のソ連側オトポール駅に留め置かれる。零下数十度の厳寒の中、寒さと飢えで生命の保証がないまま、野宿生活を余儀なくされていた
ソ連が入国を認めないので、満州への入国を希望する。日本と友好関係にあったドイツは抗議してくるが、関東軍参謀長の東条英機中将は「日本はドイツの属国ではないし、ことは人道問題である」として、樋口少将に満州国との交渉を許可する。

少将は満州国外交部と協議のうえでユダヤ人の受け入れを決定し、満州里駅で満州通過ビザを発給する(一連の事象は「オトポール事件」と呼ばれる)。

満州里からハルピンなどの主要都市への移動には、松岡洋右満鉄総裁が特別救援列車を手配する便宜などを図る。満州に入国したユダヤ人は、満州に定住したり、上海へ移住したり、日本経由で南米に渡ったりして生き延びた。

通過ビザで一時日本に滞在したユダヤ人に対して、日本は官民挙げて親切に対応したと言われる。ユダヤ人コミュニティがあった神戸には多くのユダヤ人難民が 一時期を過ごすが、行政当局はあらゆる便宜を図り、神戸の住民は差し入れなどして歓迎している。ポーランドに帰国したユダヤ人とは今も交流が続いていると 仄聞する。

上記の話とは異なるが、犬塚惟重(これしげ)大佐は上海の日本疎開地にユダヤ難民を収容する施設や学校、病院を作り、約3万人のユダヤ人を保護し、さらに、リトアニアから350人のユダヤ人を救出して米国へ送り届ける外交交渉をしている。

大佐もゴールデン・ブックに記載される予定であったが、「(天皇陛下のご慈悲に従って働いているだけで)記名されるべきは陛下であられる」として固辞したと言われる(「産経新聞」2011年7月9日付)。

おわりに

オトポール事件を契機に、我が国は総出でユダヤ難民の救出にあたった。日本政府はこの時、ユダヤ人迫害は日本が主張してきた人種平等に悖(もと)るもの で、他国人と同様、公平に取り扱うべきであるとする「ユダヤ人対策要綱」を決定(1938年12月)している。杉原氏の行為も、この要綱に基づいて取られ たものであった。

この要綱は1919年のベルサイユ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃の精神を受け継いだものであることは言うまでもない。

ちなみに、イスラエルで最も権威あるゴールデン・ブックに記名されている樋口少将について、自由社の『新しい歴史教科書』(平成23年5月発行)が、杉原氏と共にコラムで記載しているが、他は寡聞にして知らない。

今日でも中東から欧州への難民や、中国、北朝鮮での人権弾圧、米国やアフリカにおける人種問題などが日々報道されている。人種差別や人権弾圧は過去の問題でも、また遠い国の問題でもなく、今明日の日本と日本人にも大いにかかわる問題でもあろう
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