サミュエルよりの手紙!

みなさんこんにちは。
フジ住宅株式会社様の記事を読み、日本も、ヘイトスピーチ規制とポリティカル・コレクトネス先進国のイギリスみたいになってきた・・・と思いました。イギリスでは、「マイノリティの人権」と「表現の自由」との間で人々が対立し、国が分かれています。
ディベートの次元では、後者が優先かなと思います。人権派が、まず、それはヘイトスピーチだ、と言います。それに対して、表現の自由派が、いや違う、と反論します。ディベートでは反論されたら、それに反論(反駁)しなければなりません。しかしながら、人権派の皆さんは、最初と同じ主張を繰り返すか、表現の自由派の皆さんを、レイシスト!ヒトラー!ナチス!呼ばわりするか、裁判沙汰にするか、逮捕させてしまうか・・・と言った具合です。この時点で、自分たちは、表現の自由派の皆さんにはディベートには勝てないと認めたようなものです。ディベートでは勝てないから、その他の手段に出るわけでしょう。
ところで、皆さん「マイノリティの人権」と「表現の自由」のどちらが正しいと思いますか?
答えは「両方」でしょう。だって、「人権」も「自由」も両方重要なのですから。
ディベートは知的エクササイズには適していますが、どうしても「AかBか」の思考パターンに陥りがちです。しかしながら実社会では、「AかBか」だけではなく、「AもBも」「AでもBでもない」という選択肢もありますよ。
すなわち、中庸を求める、ということであります。
すると、中庸などと、ホスト国日本の文化を外国人というマイノリティに押し付けるのか、ヘイトスピーチだ!と言われそうです。
しかしながら皆さん、中庸とは、もともと、中国から日本にやってきたものですよ!アリストテレスも中庸を唱えていたといいます。
サミュエルは、日本では宗教的マイノリティのキリスト教徒なのですが、『聖書』も実は中庸的なところがあります。何といっても、イエス・キリスト自身が、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」(マタイ10:16-23を見てくださいね)と述べているくらいなのです。
すなわち日本は、世界各国が願っても叶わなかった「中庸」という概念を体現している稀有な国なのです。
いずれにせよ、ヘイトスピーチに関連する案件は、古典を読み込むことによりかなりのヒントを得られそうだとサミュエルは思っています。ところが、現在のイギリスや欧州の大学では、ホワイトネススタディーズやジェンダースタディーズなどが優勢で、もちろん、新しい学問に触れることは悪いことではないのでしょうが、大学ではやはり、何世紀にも亘って批判に耐えてきた古典を外すわけにはいかないのではと・・・。古典からは深い洞察が得られるはずなのです。
国連などで、人権派の皆さんが日本を非難したら、中庸で行きましょうよ!と言えばいいと思います。中庸は、言うは易し、行うは難しで、本当に狭い道なのです。だから、手っ取り早く相手を裁判などで叩いてしまえ・・・ということになるのかもしれないのですが、こういうことを続けると、良くて世論が二分、悪くて社会に混乱を招きます。イギリスや欧州の例が既にあるのだから、我々はよく見極めて、本当に皆に益となる決断をしていきたいと願うばかりです。社会が混乱して得するのは誰なのか、考えつつ。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。またお会いしましょう。
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