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「空の神兵」

奥本 康氏 氏より
一般社団法人『空の神兵慰霊顕彰碑護持会』

【79年前の、昭和17年1月11日、セレベス島に落下傘部隊降下‼️】
~ 日本初の落下傘実戦投入は海軍だった‼️ ~
大東亜戦争前から、日本軍は、いつ戦争にしても大丈夫なように準備を進めていた。
その最大の作戦として資源確保の為、南方の資源地帯(インドネシアの石油基地)を制圧することの検討に海軍、陸軍は昭和15年頃より入っていた。
特に石油基地を制圧するには悠長な方法は取れない為、奇襲により敵の意表を突くことであった。
海軍・陸軍ともに同じころから部隊創設の準備を進めていたが記録をみると海軍の着手が少し早かったようだ。
陸軍も海軍も開戦前(12月8日)前に既に出動態勢は整っていたが、攻撃目標にむけて日本を出発したのは海軍が早かったようである。
(昭和16年11月26日東京湾出港)
陸軍は12月13日に門司港から挺進第一聯隊がインドネシアのパレンバンに向けて出港したが、翌年1月3日に輸送船が火災事故により沈没、急遽、練習部の隊員を編成して第二聯隊がパレンバンに向かったのが1月15日であった。
陸軍は事故がなければ、海軍と同じような時期に出撃出来たのだが、海軍に先を越されてしまったのである。(パレンバン攻撃は2月14日と1カ月も遅くなった。)
運命の悪戯か予備部隊が、パレンバンをたった1日で制圧するという、大東亜戦争の歴史を変える大勝利を挙げたのだ。
海軍のインドネシア、セレベス島メナドへの降下作戦も成功であったが、大本営は直ぐに戦果は報告せず、パレンバンの大勝利と同時に国民に知らせたのである。(昭和17年2月15日)
オランダ側に次の作戦を察知されない為の配慮かも知れないが、兎に角、伏せたのである。
日本最初の井落下傘奇襲攻撃を指揮したのは堀内豊秋海軍大佐の率いる横須賀鎮守府第一陸戦隊
であった。(堀内隊の戦果はメナド近郊のランゴアン飛行場を制圧したのである。)
堀内大佐は、残念ながら戦後の極東軍事裁判に引き出され、捕虜虐待という言われなき罪でオランダより死刑の判決を受けたのである。
昭和23年9月25日、堀内大佐は自分が落下傘部隊を指揮して降下したメナドの地で銃殺刑に処せられたのである。
処刑時、自分は疚しいことは何一つしていないので、マスクは不要と伝え、目隠しなしで銃殺台に立たれたのである。
堀内大佐を慕う、インドネシア住民から減刑の嘆願書まで出されたそうですが、法廷はこれを認めず、刑は執行されたのです。(享年47歳)
辞世の句(堀内大佐の墓の横に在る石碑)
月に雲 花に嵐と悟り得し
    身は晴れ渡る 空を待つのみ
白菊の 香を残し 死での旅
    つはものの後 我は追ふなり
      (白菊は落下傘をさす)
尚、毎年9月25日に靖国神社では堀内大佐の海軍兵学校時代の教え子たちが集まって慰霊祭をされています。
(堀内大佐は海軍体操を考案された方デモあり、教え子は今も続けておられるそうです。)
皆さん高齢であり、この慰霊祭を続ける為にも一般の方にも参列戴ければと思っている。

奥本康大先生の講演風景

奥本講演会の大東さんの司会者

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