fc2ブログ

中華の野望!

上野貴氏 氏より

「歴史歴に中華と言われた土地は」たったこれだけ


中国共産党がベトナムの反中批判教育について非難声明を挙げていますが、非難されるのは中国共産党の方です。中国共産党の反日教育は捏造の嘘の教育ですが、がベトナムの反中批判教育歴史教育は歴史のファクトです。

ベトナム人は元々ベト人であり越の辺りに住んでいました。この越とは広東あたりの事です。ベト(越)人は約6000年前に長江文明というユーラシア大陸東部最古の文明を起して稲作を始めた人たちです。

その当時に長江下流域での大きな争いが起きた跡は発見されていないのです。この長江文明を経由して日本に稲作技術が伝わったというのが最新のDNAより解析したイネの伝搬ルートです。日本への稲作は広東の辺りで生活していたベト人より直接海を渡って日本に届けられたというのが最新の最も正しいとされる稲作の伝搬ルートです。

このベト(越)人が南(ナム)に移動して住みだしたので越南(ベトナム)と呼ばれるようになったのですが、その大きな理由が漢人の略奪です。4千年程の昔に黄河流域を元に黄河文明という文明を作り上げました。

この文明を作り出したのが漢民族です。黄河文明は争いの 文明でもありました。黄河文明の文明圏の拡大と共に殺傷能力を持つ武器の範囲も広がりを見せ、収穫物を争って奪い合っていた略奪の文系だったことが推測されています。

それからの大陸は略奪と戦争の歴史です。漢民族の略奪や戦争は3千年前ぐらいには南の越、長江文明まで及ぶようになり、この時期から長江文明でも武器が発掘されるようになり、平和な稲作文明のベト人も争いに巻き込まれるようになっていきました。

山賊のいない山など無く海賊のいない海などいないと呼ばれる匪賊の跋扈するユーラシア大陸東部は4千年前から3千年前にかけて北から南に広がって大陸全体を修羅の国に変えていきました。

その戦に辟易し土地を捨てて南に南下して暮らすようになった人々がベトナム人なのです。ちなみにこの3千年前の野蛮文明は越だけではなく日本にまで毒牙を伸ばすようになりました。それまでは縄文時代で平和を謳歌していた日本人は争い事がありませんでした。

その理由として戦争の為の武器や争って亡くなった骨などが発見されていません。争いごとの跡が残っているのは弥生時代なのです。その理由として考えられているのが残虐な漢人の日本への渡来による治安の悪化と、その治安を維持するために日本人も武器を持ち出したという説です。

3千年前には既に稲が海路経由で日本に渡ってきていました。強盗、強奪の民である漢人は3千年前に日本に渡来して強奪の限りを行ったことは容易に想像でします。その強奪の末に日本で起きた事が縄文時代から弥生時代へのシフトです。豪華な縄文式土器から質素な弥生式土器に土器は変化し、そして女性の身に付ける装飾品も質素に変わっていきました。そして村が出来、武器が発掘されるようになったのです。

この変化は治安の悪化を示すものです。4千年前から3千年前にかけてユーラシア大陸東部は阿鼻驚嘆の強奪の地になっていきました。この時代の後期に日本でも装飾品が質素になり武器が出るようになったという事は匪賊である漢人がたびたび渡来して強奪の限りを尽くす被害が頻発するようになったので自警団としてまとまりだしたという歴史が推測できるのです。

日本は世界最古の土器文明国家であり、世界最古の箸の発祥の地です。しかし争いをしない民族は村をまとめて国を作り、そして集団で外部の脅威と戦う必要がありませんでした。

争いが無い為に不要だったのです。しかし凶悪な漢人の暴力が日本にまで渡来するようになり、村を作り集団で身を守る為の国という組織を作り文明が変わっていったのです。

縄文人と弥生人は顔の骨格が違うので別の民族だという馬鹿な学者がいますが、それは間違った歴史観です。肉食中心の縄文人が柔らかいコメなどの五穀の習慣に変わったので顎の発達が少なくなっていっただけで、現代人であっても主食が硬いものに変わると顎が発達して厳つい骨格になるのです。

顔のつくりの違いは食事で変わるのです。縄文人は稲作文化への変化により弥生人の骨格となり、治安を乱す大陸の影響で村ができ、国にまとまっていきます。そして紀元前660年に神武天皇が即位し日本が建国されることになったのです。今から2679年前のことです。

話は戻りベトナムですが、その後の歴史も中国の横暴は何度も起きているのです。

有名な三国時代、争いが激しい為に人民の9割が死亡したと言われています。9割です。後漢の後期の人口は6000万人の人口がいました。この人口は三国時代から晋にかけて770万人にまで減少しているのです。

9割の人が亡くなっても戦争は止まず、戦う人が不足していたのです。その時に行った蜀の策がベトナムやラオスでの大量誘拐と誘拐したベトナム人を戦地に兵奴として送る事でした。諸葛亮孔明はベトナム人大量誘拐の黒幕であり、その奴隷を戦地に送る事で魏との戦いを行っていたのです。

諸葛亮孔明は三国志の中でも人気のあるキャラクターですが、真実の孔明など、ろくでもないインテリヤクザの様な人物です。日本人の現代の倫理観には合わないのです。奴隷狩りの末に奴隷を戦場に送って戦わせていたのが諸葛亮孔明なのです。

ベトナムと中国は過去1000年に渡り10回ほど争いを繰り返していますが、その全てでベトナムは中国を破り追い払っています。全ての戦いが中国のベトナムへの侵略戦争で、全ての戦いにベトナムは持ちこたえて中国を追い払っているのです。

尚、中国人というイデオロギーは他民族の歴史、土地、資源を奪うために漢民族が作った造語です。中華人民共和国の国土の中で本来の漢民族が住んでいた地域などほんの一部です。他の土地は漢民族が他民族より奪って搾取を続けている土地なのです。

馬鹿という言葉があります。この言葉は秦の二代皇帝に対し「あれは馬か」と鹿を指して聞かれ、馬ですと返した事が語源です。正しく鹿であることを伝えた部下は殺されてしまいました。この話で馬鹿なのは中国の価値観では鹿を馬と間違えて聞いた皇帝ではなく、鹿であることに気が付いていても馬だと答えた趙高でもなく、正直に鹿であると答えて殺されたものが馬鹿なのです。中国では正直者は権力者に殺されかねない大馬鹿者とされているのです。

嘘をついてでも権力者に媚びるのが中国の価値観です。そして現在の皇帝である中国共産党は嘘だらけで周りの民族の文字、歴史、文化、伝統、土地、資源を奪い続けているのです。

スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

愛国倶楽部

Author:愛国倶楽部

最新記事
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
RSSリンクの表示
リンク