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「紀元節」のお祝い

「大日本国防美人秘書」より
そもそも江戸時代以前には国民の祝日というものもありませんでした。「紀元節」として日本国建国の日を祭日と定めたのは明治6年のこと。日本の場合は他国から独立したとか、革命があったとかいうわけではないのではっきりした建国の日を特定できるわけではありません。『日本書紀』に記された初代神武天皇が即位された日を西暦に換算した日付が紀元前660年2月11日であったことから定められたものです。太平洋戦争敗戦後一時GHQの支持により「紀元節」は廃止されましたが、1966(昭和41)年に再び「建国記念の日」と名を改め、国民の祝日として制定されました。以下、神武天皇の歌として『古事記』に残された歌三首。
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
みつみつし 久米の子等が 
粟生《あはふ》には 臭韮《かみら》一茎《ひともと》 
そ根が茎 そ根芽繋ぎて 
撃ちてしやまむ
勇ましい久米の者どもの 
粟の畑には臭い韮が一本 
その韮のように根も茎もひとまとめに
討ち取らずにおくものか
みつみつし 久米の子等が 
垣下に 植ゑし椒《はじかみ》 
口疼く 我は忘れじ 
撃ちてしやまむ
勇ましい久米の者どもの 
陣営の垣の下に植えた山椒ではないが 
口が疼くほどの恨みを我は忘れぬぞ
討ち取らずにおくものか
神風《かむかぜ》の 伊勢の海の 
大石《おひし》には 這ひもとほろふ 
細螺《しただみ》の い這ひもとほり 
撃ちてしやまむ
神風が吹く伊勢の海の 
大きな岩にびっしりと這いまつわってる
細螺のように 敵を隙間なく囲んで 
討ち取らずにおくものか
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 「神武東征」の中、長脛彦を討ち取った勝ち戦のあとの酒宴で詠まれた「久米歌(来目歌)」三首です。久米は古代の氏族で大伴氏の配下にあって軍事的役割を担っていました。日本の建国は革命でも独立戦争でもないと前述しましたが、それでも武力がなければ国をまとめることができないということ。悠久の日本の、そして世界の歴史が例外なく物語っているようです。
Photo:「神武天皇東征之図」~安達吟光画
「大日本国防美人秘書」様より

建国記念の日

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